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我々がボディーの修復に取り掛かろうとしていた頃、愛知機械工業の 熱田工場を訪れた人々がいた。 「全国コニー愛好協会」 コニーやグッピー等の愛知機械製車両を今でも愛用して頂いている人達で組織する オーナーズクラブであった。 この時が3回めの里帰りミーティングだったのです。 |
遠路はるばる鹿児島から参加した会長を筆頭に、13名の会員が集結。 工場前には、持ち込まれた愛車達が5台も並んだのであった。 では、生まれ故郷を訪れたコニーの兄弟達を紹介しましょう。 |
コニーの御先祖様、AA10ヂャイアント三輪車。 AA1からAA24まで続いたヂャイアントのシリーズは昭和36年まで生産され、 仕事にレジャーにと全国各地で活躍していた。 停止したまま消防ポンプを動かしてもオーバーヒートしない水冷エンジンのヂャイアントは 他に無い貴重な存在で、かなりの台数が消防車としてラインオフされたらしい。 今回は愛知県西尾市から一般道を「ドドドドド・・・」と自走してきたとの事。 ナンバーが付いた正当な登録車だから問題無いもんね。 でも、白いナンバーの他に小さな緑色のナンバーも付けられている。何故だ? |
初めて「コニー」の名称が付けられたAA27型軽三輪車。 昭和35年から2年間だけ造られ、総生産台数は約8000台。 この「知る人も知らない」(??)珍車を入手したオーナーは、 細く大きなタイヤの入手に悩み続けていたある日、田舎道で見掛けた 意外な物にそれが付いていたのを発見し歓喜。 写真に写っている新品のタイヤは、リヤカーの物なんだってさ。 |
我々が復元しているのと同じAF7Vコニーちゃん。 ピカピカに磨かれたこの車は、信じられないけど名古屋市内を 現役で走り回ってる車だとか。 |
これもレストア物語でお馴染みの、AF8コニーグッピー。 欧州に倣って日本版のバブルカー(ミニカー)を目指し世に送り出された珍車。 オーナーの執念と押しの強さで入手したらしいが、詳細は・・・内緒? |
なぜかダットサン210。輸出用らしい。 コニーを持っていないオーナーへ向かって他のメンバーが「早く買えよ」。 でも数年後に、見事グッピーを入手したのでありました。 |
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