ヴィンテージ・セレクション

気まぐれに、愛知機械工業の昔を紹介するページです

005 ・・・ 農業用発動機、その1


今回は自動車から離れ、愛知機械製の農業用発動機を取り上げます。



農業用発動機とは農作業時の動力源として使う内燃機関の総称で、一般的には略して「農発」(のうはつ)と呼ばれています。
愛知機械では「みのり」「ごこく」という愛称で1947年から生産・販売されていました。
耕耘機等が作られ始めるとこれらの動力源として使用されるようになった農発は、小型化と高回転化が進められて現在に続く小型汎用エンジンへと進化していきました。

1965年発行の社内報に、この農発の歴史をまとめた回が有りましたので紹介します。
この社内報が出た翌年の1966年、愛知機械は東洋社(現:日立建機ティエラ)に業務を譲渡して農業事業から完全撤退しました。


農発の概要

農業用発動機(農発)は農機具と共に日本の機械工業で重要な位置を占めていますが、農発が日本で利用されはじめたのは大正の半ばで、大正9年末の統計によるとその保有台数は1700台に過ぎませんでした。
その後は普及が進み、戦前に30万台へ達しましたが、戦後は農地解放と人手不足から更に普及が進み、昭和27年頃から加速度的に増加して、最近では170万台に達しています。
また戦前では燃料経済の面で灯油から軽油またはヂーゼルへの移行がありましたが、戦後は逆に性能の面で軽油から灯油あるいはガソリンエンジンへの動きがあり、他にヂーゼルの普及も見逃せぬものがあります。
結局、日本では空冷ガソリンは5馬力程度が限界で、それ以上は経済面で灯油、高級灯油またはヂーゼルとなる傾向があります。
なお、アメリカでは空冷ガソリンが全盛、ドイツではヂーゼルが盛んで、それぞれのお国ぶりを発揮しています。




当社の農発事始め

終戦後当社に転換促進委員会が設けられて民需産業への転換がはかられ、そのうちの一つとして農業用発動機が選ばれて、それが許可となったのは昭和21年11月の事でした。

しかしこれより先、陸用内燃機関協会から設計図面を譲り受けて3馬力の農発(軽油)を生産する準備をしており、同年8月には図面整備をはじめていました。
そして翌22年3月農発第1号が自動3輪車より先に誕生したのです。(写真AE2)

これは“みのり”と命名され、現第2機械課の工場の片隅に紅白の幕を張り火入れ式の式典が行なわれる事になったのですが、いざ運転する段になって冷却水をホッパーに注入した途端、消音器(マフラー)から水が流れ出しました。

まるで口に含んだ水が耳から漏れた様なわけで、火入れは中止されてしまいました。後でシリンダ・ヘッドの鋳物不良とわかりましたが、後の祭りとなり、技術関係者は切磋琢磨したものです。

この農発は翌月生産に入りましたが、今までとはまるで違った物の生産に加えて、それを販売する努力がノレンの無いと云うハンディキャップの下にはじまったのです。これから、“みのり”号から始まる製品の数々を順を追って次の様に分けて説明していきましょう。


  • 低速農発シリーズ
  • 中速農発M型、S型シリーズ
  • 高速農発 その1(H型)
  • 高速農発 その2(AE30)
  • 高速農発 その3(Tシリーズ)

低速農発シリーズ (AE2、7、11、12エンジン)

先に名前の出ました“みのり”号は、AE1の漁業用発動機の次に図面化したものですからAE2と名付けられました。その後“みのり”という名称は、商標登録上の問題から“ごこく”(五穀)と改名されましたが、この名前はその後に生産された当社農発のニックネームとして、高速農発のH型まで使われました。

このシリーズは。表13のように、全て1000ccの総工程容積でAE2の650回転から速くてもAE21の1250回転止まりです。

AE2は、前述の如く当社農発の原型です。これの吸気は自動吸入弁と云って吸気工程の時にシリンダ内の負圧で吸入弁が自然に開いて空気を吸入する簡単なものでプッシュ・ロッドと云って次のAE7のツー・ロッドと区別していました。

この自動吸入弁を止めて排気と同じように、カムで吸入弁の開閉をして回転を上げ馬力を増したのがAE7で、この様なことでも農発ではツー・ロッドの新機軸として宣伝できました。(写真AE7)
そしてAE7が改良されてAE11となり、更に耕耘機用としてパワーアップされたのがAE21です。(写真AE21)

これらの低速農発は、次のAE9中速農発と共に昭和28年頃まで生産されましたが、ついで中速化し更に高速化へと移っていきました。

AE2 みのり
AE7
AE21 耕耘機用

表13 水冷低速農発シリーズ

中速農発M型、S型シリーズ (AE9、19 18、38系統)

前述の様に低速農発にもいろいろ新しい機構を採用しましたが、重い農発の概念を突き破って、これらの性能向上、即ち小型化、軽量化、高速化への道を“ごこく”が開拓していきました。重い鋳鉄のクランクケースに軽合金鋳物を使ったのは“ごこく”農発が最初であったと記憶しています。

小型農発のAE9は600ccの小型ながら3馬力を出し、主として軽負荷の脱穀機用として“ごこく”エンジンでは最高の評判をとりました。(写真AE9)
これが更に軽量化され、パワー・アップされたのがAE19M型中速農発であります。(写真AE19、表:14-a参照)

これにより更に小型(300cc)で回転を上げてパワーを出したのがAE18S型中速農発で、このマグネットがチェーン・ドライブになったのがAE38で、これが更にスーパーS型に発展しました。(写真AE18・AE38、表14-b参照)
M型S型は昭和29年から生産され、M型シリーズは昭和31年頃まで、S型シリーズは32年頃まで生産されていました。

昭和32年(1957年)以降、農発一般の傾向として高速農発へと移るわけですが、これに先がけて当社は高速化へ第一歩を踏み出しました。


表14 中速農発シリーズ


高速農発その1、H型 (AE13エンジン)

昭和27年(1952年)、当社ではエンジン回転数を3200回転に上げたAE13のH型高速農発を発表しました。これも水冷軽油(または灯油)エンジンで、馬力は3馬力ですが同じ馬力の“みのり”が125kgであったのに対して、これはたったの48kgと云う軽量でした。(写真AE13、表15参照)

当時の一般農家では1000回転前後しか知りませんので、たとえ出力軸が減速してあるものの1分間で3200回転に恐れをなして寄り付こうとはしなかったとの事です。当時の“ごこく”の主要製品が低速のAE2・11と中速のAE9の時代であり、結局は業界に認められないままに昭和28年生産を中止しました。

このエンジンは、高速化に先鞭を付けたものの5年ほど誕生が早かったばかりに世に受け入れられなかったわけです。即ち、飛躍した考えも時と所を選んで実行に移さなければならない事を教えています。
但しこのエンジンは今もって活躍を続けているとの事です。(写真漁業用H型)

AE13 H型高速農発
表15 高速軽油(灯油)農発
漁業用H型エンジン


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