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「次の目標へ」 |
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横浜のイベントではステアリングのロッドで冷や汗をかいたが、他にトラブルはなく無事終了、
関係部署への報告や処理に追われる発起人氏にお構いなくもう次の目標へ向けて動き出すクラブ員達、
そうです中部地方最大のあのイベントへ2年連続して参加しちゃおうという計画。
日本で唯一の現存車だから絶対に出場できる!と昨年のAF7同様、
勝手な思い込みのまま自信満々に申込んで、結果は幸運にも今回もエントリーOK。
そうです、このイベントです。
出場が決まったからには、またまた準備しなきゃならない事がテンコ盛り。
実は横浜イベントへは“見られる”状態にするのが精一杯で、走らせられないのはもちろん
細かい部分は切った貼ったの仮部品で仕上げられていたのさ。
一見すると仕上がっていた内装なんかシートも含めてダンボールやボール紙、ガムテープを多用した張りボテ、
それに内張りだけじゃないよ、外観部分にも塗装したボール紙を貼り付けていたんだから。
今回はパレードでの自走にも耐えられる様にしなけりゃならないが、
復元前の試乗から1年以上も掛けてないエンジンは、
果たして動いてくれるのであろうか。
またもや休日返上の作業でエンジン調整、しかし燃料がエンジンに来ない。
やっと来るようになったら燃料ポンプからガソリン漏れ、ダイヤフラムが破れていて修理不能ですわ。
日程が迫る中、止むを得ず電磁ポンプを調達して取付けたのだが、
今度は燃圧が高過ぎてキャブがオーバーフロー気味。
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駄目になったダイヤフラム式の燃料ポンプ |
2リッター車用の電磁ポンプじゃ負荷が高過ぎか |
ああ時間切れ、こうなったら万が一に備えて助手席と荷台に消火器を積んで覚悟!
その他にもミッションケーブルが切れちゃったりもしたけど、張りボテの修復も含めてなんとか
期日までには間に合わせたのであった。
さて借り出したお馴染みのアトラスへAF3コニーと説明看板を積載し港の部室を出発したのはイベントの前日、
前夜祭の立食パーティー(
AF7第33話でも紹介)も楽しみだしと、
浮き浮き気分で週末の名古屋市内へ走り出たのであった。
そのまま博物館まで持ち込んで降ろしてから前夜祭へ参加し、翌日の本番へ。
博物館から愛知青少年公園(2005年に愛知万博のメイン会場となった場所)までの公道パレードから始まり
公園内の展示と園内2周のパレードというスケジュールだったかな。
5月19日(日)は快晴、沿道に見学者が立ち並ぶ中を博物館から公園までの公道3kmは、
パレードの列に遅れることなく公園内の展示場所へ到着、
暫くして公園内パレード参加のためお立ち台ゲートでの紹介を受け、
家族連れなど2万人の人出で賑わう中、
赤/クリーム色のツートンカラーのコニートラックは五月晴れで緑いっぱいの園内を2周したのであった。
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公道走行は40km/h、コニーの限界速度です |
紹介されて見送られ、出発! |
出走は年代順だったそうで、コニーちゃんは参加120台のうち6番手!
例によって説明パネルを置いたからなのか日本には1台しか現存しない希少価値が認められたからなのか、
閉会式では表彰も受けてしまいました。おまけに雑誌の取材も来てたっけ。
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説明パネルの集客力は抜群 |
後ろの観音扉クラウンより古いんだよ |
覚悟を決めて積んだ消火器を使う事もなく無事に終わって良かった・・・、なんて
簡単には終わらせてくれないのが我々のコニーちゃん、イベント終了後の撤収作業時にトラブル発生。
ミッションのギヤが入らなくなって1台だけ立ち往生、積載するアトラスが置いてある公園入口まで、
延々1kmの登り坂を押して行く破目になりました。あーあ。
発起人氏曰く、
「古い車を走らせるということは簡単ではない、アマチュアの我々では限度があるね。部品を新しく作らないとダメだし、
やっぱり静的展示に限るべきじゃないか」と。
一方、お気楽なクラブ員からは「さあて、次はどこへ出没しようかなあ。」だって。
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つづく