ヂャイアントは戦後直後からトラックや消防車として全国に普及していました。

特に消防車としての評価は高く、他の空冷エンジン車が消化ポンプを作動中にオーバーヒートを起こすのを尻目に、水冷エンジンのヂャイアント消防車だけは最後まで放水を続けられたという伝説が残っていいます。

1952年式のカタログは社名を改称する以前の「愛知起業」時代のもので、AA7型は三輪トラック初の丸ハンドルで密閉キャビンを採用したモデルです。
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